理事長から皆様へ

理事長 長谷川 直哉

ごあいさつ

〜果そう我々の使命を!〜

第13代 理事長

長谷川 直哉

 2009年度(社)燕三条青年会議所理事長 ごあいさつ 
〜果そうわれわれの使命を!〜

平成21年1月6日
2009年度(社)燕三条青年会議所理事長
長谷川 直哉

 

 平成21年は「100年に一度」とか「未曾有の世界同時恐慌」と叫ばれる中で静かに幕開けました。今日はいまの時代認識と、なぜこの時代にJCなのか?なぜ「燕三条」にこだわった活動をするのか?についてお話ししたいと思います。

 

  「青年としての英知と勇気と情熱を持って、明るい豊かな社会を築きあげよう」これは青年会議所(以下JC)の綱領として、いつも無意識に発している言葉かもしれませんが、今ここで大変な意味の深い言葉に思えてきました。いまからちょうど60年前の昭和24年(1949年)9月3日、東京で48名の青年達が手を取り合い、「祖国日本の復興」を目指し、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)としてスタートしました。まさに戦後復興の為、文字通り焼け野原のあとから、若者たちは本気でどうやって力を合わせて未来を作り出すか、家族や会社、地域をどうやって守るかという信念によって発足されたわけです。いまの現役メンバーは、あたりまえですが経済が安定し成熟してからのJCしか経験していません。しかしここにJCの原点があると思います。

 

  昨年の暮れ、私は東京の日比谷公園で職を失った派遣労働者たちが、路頭に迷いどうやって年を越そうかと集まってきている姿を見ました。既にテレビ等で報道されている通りですが、そこから晴海通りを少し歩いた銀座界隈には、世界中の名だたる一流ブランドショップが立ち並んでいます。ここが日本か。いよいよここまで来たかと率直に感じました。いま、未曾有の世界恐慌といわれています。世界には実体経済以外の、いわゆる金融商品全般では6京円という巨額が動いているといわれていますが、今回の引き金となったサブプライムローンやリーマンショックによって影響が出ている額は、そのまだ何十、何百万分の一であり、まさに氷山の一角であるのだそうです。ですからこの恐慌はそう簡単に終わるものではない。そうした中で我々は腰を据えていかなければならないと思っています。  

 

  そんな状況下でなぜJCをするのでしょうか。私たちは、2004年の水害、中越大震災、2007年の中越沖地震と、その災害時にも1人のJCメンバーとして、地域のリーダーとして共にその復旧に手を取り合い、復興してきた経験があります。そんな有事の時こそ、JC本来の存在意義が試されてきたわけです。私の所信にも書きましたが、会社の経営者やリーダーにとって必要な能力では、有事の際の判断力、その決断のセンスでしょう。会社の経営は正解のない判断の繰り返しです。そしてJCとはその有事に発揮するセンスや勘を磨く道場であると考えています。また皆さんは家庭で、会社で、地域のリーダーであります。そのリーダーが勉強をしなければ、家族が、社員がそれ以上に勉強するわけがありません。勉強した我々が能動者となって、動き出さなければなりません。ですから景気が悪いからJCをしない、というのは本末転倒であります。JCはいわば砥石となって、切磋琢磨できる団体です。この素晴らしい環境を活かすも殺すも我々一人ひとりの考え方次第です。だからこそ、JC活動を精一杯したいと思います。

 

  「明るい豊かな社会を築く」にはこの街がハッピーにならなければなりません。この街をハッピーにするというのは、よそ様からこの地域を良く思われることが一番です。例えば、東国原知事が就任してから宮崎県は「宮崎、宮崎」の大合唱で、農産物でも観光でもなんでも宮崎です。見事、世論を宮崎県に向かせました。これは宮崎県にとってもハッピーなことです。この燕三条は、その資源、可能性がもっとある地域です。昨年の暮れに、東京の惨状を見た後に、新幹線で燕三条に戻った際、なぜか安心しました。東京では例えば、六本木ヒルズの一室で右指一本、クリックひとつで何百億円も儲けた人はたくさんいました。しかしその経済が破綻してしまえば、それ以外、ビルに囲まれた無機質な空間では、なんの可能性もありません。それに比べ燕三条には緑が生い茂り、いろんな農作物が採れ、工場があり職人がいて、山も海も近くにある、まさにどんな時代になっても対応できる地域であります。海外の人たちがここを「宝くじに当たったような地域」と称するほどのポテンシャルがあります。既によそ様(世間)では、この地域を「燕市・三条市」ではなく「燕三条」というくくりで見ていますし、首都圏で実施した調査でも明らかになりました。現に他地域からこの地域に進出してきた事業所は「燕三条支店」や「燕三条営業所」と名乗っていることを考えますと、この地域を対外的に発信する場合は、やはり「燕三条」というくくりが自然であるわけです。だからこそ、この燕三条を今年1年かけて、発信していきたいと考えています。

 

  最後に、進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンは、「何十億年と人類が進化してきた際、幾多の環境変化で生き残って進化してきた我々のDNAの祖先は、偉いもの、賢いものが生き残ったのではなく、変化に対応できるものが生き残った」と論じています。この大きな変革の時期、我々も生き残りをかけて臆することなく、変化に対応していきたいと思います。

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